ブラジル

ブラジル:サンパウロ

大浦 智子(おおうら ともこ)

職業…フリーランス
居住都市…ブラジル国サンパウロ市

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移民博物館でのセネガル人グループのショー

移民博物館でのセネガル人グループのショー

 11月20日はブラジルでは自治体によって「黒人の日」と定められた祝日です。この日に合わせて前日19日にはサンパウロ市内の移民博物館(Museu Imigração)で、「VIVA!! AFRICA(万歳!アフリカ)」というテーマの小イベントが実施されました。モザンビーク、コンゴ、モロッコを代表するアフリカ料理のブースが出展され、セネガル人グループの音楽舞踊ショーが行われました。

 2000年以降、アフリカ各地の人々が、難民や学生などとしてブラジルに渡る人が目立つようになりました。背景には、もともとポルトガル語圏のアフリカ諸国はブラジルとの関係が身近であること、さらに以前はヨーロッパに渡っていたアフリカ諸国の人々が、ヨーロッパの経済危機で職が減り、ビザも取得しにくくなったこともあると言われています。

 一言でアフリカといっても文化圏が違い、サンパウロに来て年数が浅い人々は、アンゴラ人、セネガル人、コンゴ人、ナイジェリア人といった同じ文化を共有する者同士で集まっていることが目立ちます。

 アフリカの人々が集まっている場所に行くと、アフリカ諸国で公用語とされているフランス語や英語、ポルトガル語だけでなく、聞きなじみのない土着の言語が混ざった言語が飛び交います。肌の色はブラジルに同じような人がいても、すぐに海外から来た人だと分かります。


サンパウロ市内で見掛けるアフリカのカラフルな生地や服飾品

サンパウロ市内で見掛けるアフリカのカラフルな生地や服飾品

 特に最近急速に存在感を増しているのがセネガル人です。

 セントロ地区ではセネガル人が中心となってアフリカから輸入したカラフルな生地や服飾品が販売されています。独特でエネルギッシュな雰囲気があり、移民博物館でショーを披露したセネガル人グループも、今のブラジルのサンバ以上に迫力と魂に迫るような伝統を感じさせる演奏で、アフリカンパワーが伝わってきました。


移民博物館でアフリカ料理の講習を行うバンツー・タバシサさん

移民博物館でアフリカ料理の講習を行うバンツー・タバシサさん

 アンゴラ人は学生やビジネスのためにブラジルに渡航する人の他、難民と認定されて渡航し、ブラジルに来てから永住ビザを収得するというケースもあります。

 1993年に内戦で混乱するアンゴラから難民としてブラジルに到着し、以降、ブラジルで活躍するバンツー・タバシサさん(1970年生、キンシャサ出身)。バンツーさんは父親が現在のコンゴ民主共和国の出身で母親がアンゴラの出身です。

 「両親の故郷のコンゴやアンゴラからは何も持って来られませんでしたが、自分の中で最も大切なものは、私の心である“アフリカ文化”でした」と、郷里や留学したベルギーで育まれたアートの才能を生かし、アーティストとして出身部族のバコンゴ族のダンス、音楽、工芸、料理などを発信し続けています。

 移民博物館でも飲食ブースを出展し、アフリカ料理の講習も行っていたバンツーさん。現在は、自宅で奥さんと子ども4人と一緒にアフリカ料理店を経営し、確実にブラジルで根を下ろしています。


自宅レストランの一角で太鼓を演奏するバンツー・タバシサさん

自宅レストランの一角で太鼓を演奏するバンツー・タバシサさん

 ブラジルは植民地時代に数百万人とも言われるアフリカの人々がブラジルに連れて来られました。現在は多くが混血して、今のアフリカ各地の出身地の人々と比較すると、やはり同じ黒や褐色肌の人々でも微妙に風貌や言語、スタイルが異なります。

 いつの時代も国境を越えて生きる人には人知れぬ苦労もありますが、たくましく生き抜き、新しい土地で新しい文化を導入して創造するエネルギーを秘めている人々もいることを、昨今のサンパウロのアフリカンパワーから垣間見ることができます。


アンゴラ人の多く集まるサンパウロ市内の一角

アンゴラ人の多く集まるサンパウロ市内の一角


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